代表税理士紹介 | 姫路市の税理士-アルトブリッジ税務事務所

姫路の税理士事務所 アルトブリッジ税務事務所です


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代表者プロフィール

120412100218-1.jpg税理士/産業カウンセラー

高橋 智則(たかはし とものり)

1975年 京都・太秦生まれ
(映画村や東映撮影所、大映通りなどがある映画の町に生まれました)
産業能率大学経営情報学部 卒業
立命館大学大学院経営管理研究科 修了

聴いて強みを引き出す”キキダス”税理士

税理士として求められる最も大事な仕事は、顧問先企業の経営者皆様のお話をお聴きすることと考えております。
経営において抱えられる不安や悩みに対し、自社の経営状況を最も理解する税理士が親身にお話をお聴きし、相談に乗ることはこの職における大切な務めと考えています。
そのため、カウンセリング技術を用いた面談を通じて、経営者の皆様の想いをしっかりとお聴きするとともに、会社の長所を引出し、それを伸ばすお手伝いをすることで成長する経営づくりを支援致します。

経歴紹介__趣味等__税理士を目指した経緯__業務におけるこだわり

代表者挨拶

経歴のご紹介

1996年

京都の食品卸売会社に勤務

1999年

京都の資産税に注力した会計事務所に勤務

中小企業や個人事業主、不動産オーナー等の税務申告のほか、法人の設立業務や、お客様におけるパソコン会計導入のサポートに従事。

特に、大手建設会社と提携したアパート・マンションなどの建設に係る消費税の還付申告や、土地建物の譲渡に係る申告、生前贈与等の資産税案件にも数多く従事する。

2003年

歯科を中心とした医療特化型の会計事務所に勤務

個人の歯科医院や医療法人の税務会計のほか、歯科医院の新規開業や医療法人の設立、銀行融資への対応など、多数の歯科医院の経営支援に従事する。

特に、毎回の巡回訪問を院長先生に心待ちにして頂けるよう、医院の現状分析と課題の整理、経営に役立つ様々な情報提供や、医院経営の未来予測を重視したサービス提供に注力する。

そのほか、院長先生における相続・贈与、事業承継案件等も経験する傍ら、社会福祉法人における組織人事改革のコンサルティング業務などにも携わる。

2008年

外資系会計事務所の国際部門に勤務

国際税務の専門家として、製薬、電機、自動車・自動車部品、精密機器、食品等、数多くの海外進出した日本の上場企業に対し、海外に設立した子会社に販売する製品の価格を税務の観点からいくらに設定すればいいのか、といった移転価格政策を専門とした国際税務に関するアドバイス業務に従事する。

移転価格コンサルティングの実務においては、その会社の利益はどこから生み出されるのか、といった点を整理するため、工場の製造現場や研究開発、マーケティングなどの実際の現場へ出向いて数多くのインタビューや事実調査をこなし、様々な業種・規模の会社におけるビジネスモデル分析を行う。

それにより、企業の国際税務戦略へのアドバイス経験はもとより、経営数値などの資料だけでなく実際の現場での実地調査を通じて、あらゆる角度からその会社の強みや利益の源を分析する力を身につける。

2012年

 アルトブリッジ税務事務所を設立する


【執筆】
書籍イメージ.jpg
『ビジネス図解 個人事業主のための節税のしくみがわかる本』
(同文舘出版 2016年4月出版)
LinkIcon著書紹介はこちら


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『Q&Aグループ法人税制の実務ポイント』
(ぎょうせい「旬刊 速報税理」2010年8月11日号(共同執筆))



【セミナー実績】
週末起業フォーラム 様 「週末起業を加速させる会計思考と行動計画の立て方」
株式会社 富士通システムズ・ウエスト 様 「SEのための国際税務の基礎」
ミサワホーム近畿株式会社 様 「聴いてトクする住宅ローン控除のポイント」
異業種交流会 樹の会 様 「これだけは知っておいてほしい税務調査のキソ」
戦略MAP研究会 様 「経営計画の新たな作り方・シナリオプランニングセミナー」
近畿青年税理士連盟大阪支部 様 「移転価格のやさしい実務」
近畿青年税理士連盟大阪支部 様 「中小企業のための海外進出に伴う国際税務のポイント」
近畿青年税理士連盟大阪支部 様 「税理士のための移転価格税制」
租税法研究会 様 「移転価格税制の基礎」
税理士法人亀岡合同総研主催 「公益通報者保護法セミナー」
税理士法人亀岡合同総研主催 「会社法セミナー」
姫路市租税教室
姫路市立公民館「聴いてトクする税の教養講座」
神河町商工会 様 「決算手続きの方法とポイント」   他多数

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趣味等

bind_free130.jpg趣味は地酒の飲み比べ。特に京都伏見の地酒「英勲」と姫路の地酒「龍力」をこよなく愛しています。

食べることが大好きなのですが、姫路に来て驚いたのが、お刺身の美味しさ。
実はそれまであまり好きではなかったのですが、姫路で妻のお父さんからごちそうになったとき「お刺身ってこんなに美味しかったのか!」と三十路を超えて初めて食に感動を覚えました。

良く食べてよく飲むため、割とガタイがいい方で、何かスポーツをしていたのか?と聞かれることがあるのですが、スポーツは苦手な方です。

小学生時代は少年野球に入るも、守備はライトで万年補欠でした。
中学生時代は、ちょうどソウルオリンピックの年に”ミロ”のCMに影響を受けて卓球部に入り、シェイクハンドで王子サーブのマネをしていました。
高校生時代は泳ぎは苦手なのに水泳部でした(ブレスト専門)。

また、国産バイリンガルを夢見て、不得意ながらも英語をマイペースで学習しています。初めて受けたTOEICスコアは345点と全くダメでしたが、3年後には770点まで上昇しました。
(語学力そのものよりも、英語の勉強方法やトレーニング方法ばかりに長けてしまってます。。)

そのほか、今2歳の息子の父親として妻とともに子育てにも奮闘しており、日々息子の成長に驚きと喜びを感じています。

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税理士を目指した経緯

bind_free134.jpg高校生の頃、友人とBOΦWYのコピーバンドしていたのですが、勉強が嫌で受験勉強から逃げ出して高校卒業後もそのままバンド活動に明け暮れた生活を送っていました。

しかしメジャーデビューに強い願望があったわけでもなく、二十歳を過ぎて場末のサパークラブのバックバンドでオールディーズの演奏をする中、ふと、このままでいいのか?と考えたとき、一気に熱が冷めてしまい、結局なにもかもやめてしまいました。

真面目に働こうと、そこから就職活動を始めるも書類段階での不採用は数知れず、運よく面接に通ったとしても毎度のごとく、「バンドなんかやっていた君に勉強ができるわけないだろう」と冷たく馬鹿にされた挙句に不採用。何も考えずに漫然と過ごし、目の前のことから逃げてきたことのツケを身に染みて感じました。

そんな中、1社だけ私を拾ってくれた会社がありました。
食品の卸売をする会社で、創業3年で社員10数名、社長もまだ30歳過ぎという若い会社でしたが、その社長との出会いが私の運命を変え、税理士を目指すきっかけとなりました。
その社長から頂いた次の2つの言葉が今の私の原点になっています。

「会計を大事にしない人は経営者にはなれない。会計は今自分の会社がどういう状態にあるかを数字ではっきりと教えてくれる。そしてこれから自分が何をすべきか、未来も教えてくれる。だから会計は大事なんだ。」

「社長は自分の家族だけを養う仕事じゃない。俺の両肩には社員とその家族の生活への責任がのしかかっている。また会社を潰せば回りに迷惑がかかることを思えば、一緒に仕事をしてくれる協力業者の社員さんとその家族の生活まで懸かっている、とても責任の重い仕事なんだ。」

それまで勉強嫌いだった私は、心のスイッチが入ったかのように、経営者の方が書かれた著書を中心にビジネス書を読み漁りました。
また、当時会社の顧問をされていた税理士の方が会社へ訪問された際には、社長の計らいによりお話を伺うことができたこともあり、税理士という職業を知ることができました。

「会計ってこんなにすごいものなんだ」

「税理士はその会計を使って社長と会社をサポートできる仕事なんだ」

そのような気付きを得た私は自然と税理士になる方法を模索し始めました。
しかし、すぐさま自分には受験資格すらないことを知りました。
大卒でないとだめなのか、と一度は落胆しましたが、よく確認すると簿記1級の合格者も学歴に関係なく受験できるとわかりました。

それならばと、税理士試験の受験資格を得るべく、簿記1級の取得を目指して休日に資格学校に通い、簿記3級から勉強を開始しました。これまで多くの就職面接にて「君なんかに勉強ができるわけない」と否定されてきたことを振り返り、「今に見返してやる!」という気持ちも強くあったため必死に努力しました。

簿記試験に合格した後、大変お世話になったにも関わらず、社長に「税理士になるので会社を辞めさせて下さい」と正直に頭を下げたところ、快く新しい道に進むことを認め、応援して下さいました。本当に多くを学ばせて頂いた社長には今でもとても感謝しています。

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業務におけるこだわり

bind_76.jpg簿記1級に合格したことをもって、その後地元の会計事務所で勤めることが叶いましたが、当初は仕事が全くわからず、周りの方にはかなり迷惑をかけました。

そんな中、まだ入社して数か月の頃、ある新規顧問先の担当をさせて頂くことになりました。そこは溶接工の町工場でしたが、息子さんに将来継いでもらうことも考え、数年後には法人成りを希望されるとともに、息子さんと一緒に仕事をしていきたい、という社長の夢もお聞きしました。

しかし当初業績は順調だったものの、当時の長引く不況により徐々に元請企業の業績が悪化し、それとともに受注と売上も大幅に下落していきました。
社長は方々に注文を掛け合い、金策に走るなどされましたが、うまくは行きませんでした。
私も何かサポートできないかと社長の下へ伺うも、不在がちで会うこともままならず、ついには全く連絡もつかなくなってしまいました。

連絡がとれなくなりしばらく経った頃、見知らぬ弁護士事務所より1通の封書が事務所に送付されてきました。
それは債権者集会の通知でした。自己破産を申し立てたとのことで、私の事務所は顧問料の未収金に係る債権者として通知を受けたのでした。

その1通の通知書を受け、私は悲しい気持ちと、またそれ以上に、本来社長を傍でサポートする立場でありながら、支えるどころか最後は単なる一債権者になってしまったことに、やるせない気持ちでいっぱいでした。

私自身、まだ会計事務所業界に入って1年にも満たない時期でしたが、この時ほど自分の能力不足や無力さを痛感したことはなく、何もできなかった自分の無能さに腹が立って仕方ありませんでした。

では、これからどうすればいいか。その答えとして当時考えたことは、会計や税務はもとより、経営についての知識もなければ、顧問先の経営支援を行うための実務経験も圧倒的に不足している。だったら自分に今できることは、時間と量で知識不足と経験不足をカバーしていくしかない。人の2倍・3倍努力しよう、と朝から晩まで土日も休みなく、仕事と勉強に励み、自身の能力を高めることにひたすら没頭しました。

その結果得た今の私の考えは、事が起こってからの対処では遅すぎる、不具合が生じてからの対応力を高めることも必要だけれども、そうならないための先手を打つ、顧問先とともに常に未来を見据えた「転ばぬ先の杖」としての役割を担うことが真に重要だ、との思いに至りました。

そのため、事業計画の策定を通じて顧問先とともに経営の先を見通す、ということを業務において常に心がけています。

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